2009年3月16日月曜日

CuencaでEquadorの歴史を

ようやく体調がほぼ回復し力も出てきた。 朝、ツーリストOfficeを訪問し、観光の予定を立てる。 11時Parque Centralからツアーバスありと。 10時半に行って待っているもそれらしきバス現れず。 近くにいた物売りのおじいさんに尋ねると「月曜はないの」だと。 本当かの念を押すと、「ワシは、15年もここで売っている。間違いないと。」 従ってガイドを午後の4時間雇う。  車付きで一人20ドル。 Cuencaは、4あ、2万人当国第三番目の都市。 もともとは、カニャレスという先住民族が5000年も前からこの地方を本拠として、15世紀にインカ帝国の支配を受けその80年後に今度はスペイン人の支配となった。 1557年がCuencaの創立。 創立者がスペインのCuenca出身であったため同名となった。 そういえば、当国のいろいろな所にスペインの同名の町が沢山ある。 Peruと異なり、ドライバーのマナーが非常に宜しい。 少なくともBRよりは格段に良い。 Peruは、ムチャクチャとしか形容の使用がなかったので、余計にこちらの良さが感じる。 人々も大変親切で良く働く様子がOffice,レストランなどで感じる。 Panama Hatの工場を訪ねた。 実は、このCuencaからPanamaへ輸出されているのだと。 手編みで熟練者が一日2個作るそうで、中には、3-6ヶ月もかけるものあり。 価格もいろいろだが、30-3000ドルまでピンキリ。 今回、唯一餞別を呉れた人に1個選び、ついでに自分の分も1個。 Cuencaに来て初めて日本食を食べた。 SakuraいうEquador人経営のすし屋。 1カンを2分にしてある。 食べ易いようにか。
ネタは、まあまあなるも、米が8分ぐらいの炊き上がりで今ひとつ。 二人で50ドル。 今夜は、最後のEquador.  Hotelの部屋からは、IluminationされたSanto Domingo教会が、美しく映えている。
 

Equadorの京都、Cuenca着

昨日の腹痛も治まり、ほぼ体調を回復。  日曜日とあって車も少なく、大都市のCentroから地図を頼りに抜け出すには絶好の条件。 13時には、古都Cuenca着。 街中は、人通りすくなく、閑散として町並みを良く観察できる。 Hotel El Conquistadorは、Central広場に近接しており、Restrant,Cafe など多くあり、便利なところ。 お市街と新市街あり、ホテルは、旧市街のど真ん中。 Guayquilでアクセス出来なかったInternetもここは、OK. Internetにアクセス出来ないと一種の禁断症状を呈する。 明日は、一日ここを観光予定でもう一泊する。  途中、この地方の聖地で会った現地のFamilyと話すチャンスあり。 とても平和で穏やかに表情の家族であった。 とくにIndio風なおばあさんの顔がとても良かった。  (どうして、写真の貼り付け出来ないのか不明)

Guayaquilでダウン

14日の明け方からお腹が雷みたいにゴロゴロ鳴り出す。 朝からかって経験したことのない様な強烈な腹痛。 しびれるような痛さ。 昨夜のカニが原因か。 Marioと奥さんのAlesandraがカニのどうがらにトマトと玉ねぎのみじん切りを入れ、脳みそを美味しそうに食べていたのを自分も真似をして食べた。北海道の毛蟹、花咲がになどの味噌は、味噌のみをきれいに選別できるも、泥カニの方は、そうはっきり区別つかなく、これまでも食べて来なかった。 腹痛は、まるで陣痛のように4-5分おき、確実にやって来る。 結局嘔吐するまで続き、14時頃やっとベットを離れた。  土曜のうちにパンクを修理をせねば、明日の日曜日は、難しいのではと言う判断から。 Guayaquilの一日観光は、これでフイになった。 もちろん、3食なし。  助手が、パンクといい下痢といい、13日の金曜日ヨ、と余計な事を言っていた。 Guayaquilは、20年前ぐらいに行ったが、昔の面影全くなし。 医療機器の販売では、この金融危機の影響出ていないと、Marioの話。