2009年2月26日木曜日

アンデスのふもとまで来ました

コルドバを出て、そろそろ飽きてきた大平原の一直線とは打って変わった風景を走った。 一面岩肌だらけの山を越えた。 久しぶりのカーブの連続、やはり走る実感は、コレコレ。 こんな田舎道まで、実に良く整備された道路が続く。 穴ぼこ一つ見つからないのは、どういう事。 やはり、戦前の先進国ARの充実したインフラを感じさせる。 Mendoza手前、200kmぐらいから又緑と化した。 勿論、広大なブドウ畑。 古臭いカミオンがブドウを満載して行きかう。 当然今夜は、Bife de Chorizo & Vino tinto.  一人前を二人で分け、約20ドル。 3.5Pesos /US$のため、かなり割り安感あり。 街中活気あり。 昨年の経済成長率記憶に間違いなくば、確かBRをかなり上回ったはず。 ホテルは3星、Princess、朝食付き200Pesos。

Santa Feから Cordoba着

昨日、コルドバ着。ホテルCristalのWiFiもCable式も両方トライするもアクセス出来ず。 ヤクの経験皆無なるものの、一種の禁断症状。 イライラのしっぱなし。 俗世を一旦棚に上げるつもりでこの旅行に望む筈も、やっぱり抜けきれない悲しさ。 コルドバには、午後2時到着。 ユネスコの世界遺産指定の国立大、大聖堂、市立美術館を見学。 このPCバッテリーなく、今にも切れそう。
取り敢えず、ここまで。

2009年2月25日水曜日

パンパの広大さを実感

昨日、ParaguayとArgentina国境の町、Posadaから900km、Santa Fe到着。 この間、壮大なPampaを走って来た。 とにかく、一直線、BRの比ではない。 Foresterの自動操縦(Piloto Automatico)をフルに活用する。 交通量もそれほどなく、実に快適だが、単調故、常に眠くなる。 都度、スタンドや街道の横道で一眠り。 途中、牛を追う牧童の光景は、これまで見てきたArの風景そのもの。 眼前に広がるこの大地を見ると、ARがとてつもな農業国であることを強烈に印象付ける。 とにかく、デッカイ。

2009年2月23日月曜日

ARGENTINAに入りました

女房殿の体調も回復、Asuncionのホテルを8時出発。13時には、
Encarnacionに到着。 この区間の道路状況良く分からずいたが、
本日450km走ってびっくり。 素晴らしいの一言。 もちろんBRの片側2車線、3車線の幹線道路には及ばないものの、想像していた状況とは全く違った。  ユネスコの世界遺産Trinidad遺跡の話を聞き、
Encarnacionを30km通り越して、昼食を兼ねて見物。 世界遺産のわりには、説明資料の類はゼロ。  入場券売り場のネーちゃんに、何かないのかと聞くと、Paraguay全国の日本語パンフレット一枚呉れた。 Encarnacionには、宿泊せず、イグアスー河対岸のArgentina側の町、Posadasに渡る。
BR出国時教わった、車の登録や保険のなど、一切問われず、拍子抜けするほど、スムーズ。
ARのPeso弱く、1ドル3.5Peso。 食事してもかなりの割安感。  チョット、贅沢してやるか。

2009年2月22日日曜日

Asuncionもう1泊

朝9時打ち合わせ通り、Argon社のSr.CarlosがHotelロビーに到着。脳外の医療機器を国立大学病院に納入予定。医療機器市場の7割が公立病院。 又、私立病院市場の8割が中古機器が占めるらしい。 この後、Encarnacionに向かう予定を変更、Asuncionのホテル内山田新館にもう一泊する事にした。 理由は、カミさんの体調。 日本から帰り、4泊してすぐのこの旅で、多少の疲れも出たのかも。 外は、42度の猛暑。 それでも、身体を物理的に動かす必要を感じ、セントロに向け散歩。 日曜日の首都は閑静そのもの。 Lanchonete,Padariaの類も極端に少ない。 暑さに堪らず、たまたま見つけたレストランに入る。 直ぐ階段あり、2階へ。 応接間らしい空間を通って直進。歴史的な建物らしく、さらにドアーを開けたところでようやくレストランらしい雰囲気に。 中のシャンデリアと黒で正装(?)したボーイ達の姿に一瞬たじろぐも、それを悟られまいとするボク。 聞けばビフェースタイルと。 ボーイに妻がお腹の調子悪く、アラカルトで行きたいのだが、と。 しかし、メニューの値段を見て、直ぐ変更。 妻には、ビフェーで行くと一言。 彼女が食したデザートの異常なヴォリュームに腹具合の怨念のようなものが。

2009年2月21日土曜日

Paraguayを東から西へ縦断、Asuncion着

運転には、曇天の方が気持ち良い。 朝、BR側からParaguayへ。
Cidade del Esteへの買物客の車の列の中、ついImigrationの出国手続きせず、Paraguay側入国。 入国審査でBR側出国のスタンプはと聞かれ、慌ててBR側に逆戻り。  何ともナサケナヤ。 BR側で出国の手続き中、私のパスポートについて、何か問題あるらしく連邦警察窓口の女性職員が上司となにやら相談、判断を伺っている様子がガラス越しに丸見え。 さらにたまにチラチラこちらを伺う。(オーイ、やめてけれ! オレ何もしてネーゾ。) ついに、奥の上司殿が腰を上げ、私に向かって来る。 まるで判決を待つj容疑者の気分。「セニョールはパスポートを2通所持しておる。説明願いたい」と。言い方は丁寧なるも、上司殿の目は、完全に犯罪者向け。 (チクショウ!何だってこんなところで)、と思いつつも、心を落ち着け、何かの間違いであること、更新した古い番号がまだコンピューターに残っているのでは、など冷静に説明、多分、私のどこまでも澄んだ目が彼らをして全ての事情を察したのでしょう、素直にOKと。 Ciadade del Este在住のSご夫妻を訪問、昼食をご馳走になる。 Paraguay側、今日は42度の猛暑。 街道沿いの緑の濃さには圧倒される。 BR側で聞いていた車両運転許証、今は必要ないと。 18時半、内山田ホテル投宿。 Paraguayは、恐らく世界一空気のおいしいところでは。 本日の走行370km。

2009年2月20日金曜日

第一日目 イグアスー到着

一時間の遅刻で起床。 朝飯も抜き。 会社へ忘れ物。 女房が用意した引越し級の荷物を積み込み、何やかにやでアパート前を出発出来たのは、6時45分。 Curitibaの郊外のバイパスを経由、国道277号線をひたすら走り、イグアスー20時半着。 街道沿いのホテルBest Westanに飛び込む。サンパウロを発って、1080kmの走行距離。 途中のクアレズマ、イッペーの見事な花が街道沿いに咲き乱れていたのが印象的。 まずは、快調なスタート。
                      S.Paulo アパート前

2009年2月14日土曜日

出発5日前

ニッケイ新聞堀江記者の取材を受けるも、こんなに早く掲載されるとは。 準備らしいものも中々進まず。 見切り発車は、免れない。 不安の中でも 心のどこかでは、「マアー何とかなるサ」といつもの楽観論。取り敢えず、 スペアータイヤをもう1本、予備ガソリン用ポリタンク、日本食の備蓄、薬、 新聞の配信中断の届出、現地知人とのコンタクト、仕事の残務整理。  アーいそがし。 こんな事をのんびり投稿している暇なし。 すぐ、出掛けナクッチャ。