Iquiqueは、Free Zoneのため、車の持ち込みの検査受ける。 海岸通りは、リトルRioを思い出させる。 治安面での不安ゼロ。 もう一枚の写真は、街道に点在するお墓のよう。 交通事故に遭った人と思われる。 これがかなりの数。 もう一枚は、助手(昼間はただひたすら睡眠をむさぼっておる。お腹がすくと、地図を見てこの街で食べると命令)に愛車の走行の様子を撮らせたもの。
2009年3月5日木曜日
チリのとりこ
2009年3月4日水曜日
滑走路の上を走っているよう
La SerenaからAntofagastaまで移動した。 940km走った勘定なるが、今夜はさすがにくたびれた。 La Serenaを過ぎると、風景が一変する。 もっと、北の方から砂漠が始まるのと思っていたが。 とんでもない。 La Serana以北は、緑ひとつない砂漠。 これまでの常識を根本的に変える風景と出くわす。 同じ乾燥地帯でも微妙な変化を見せる。 Antofagastaは、28万人の町だが、食料の全てを外部依存という。 大きな港もある。 初めてスピード違反で捕まる。 チリ警察のパトカーは、速度計を積んで走っているよう。 137kmと指摘された。 最高速度100kmという、
チリの法律を遵守せよと。 当方、それはごもっともだが、もう少し速度の標識をつけてくれれば、判りやすくなると。 Penaltyがいくらとか言っていたが、余り頭に入らず。 どこまで行くのかという問いにPeruまでだ、というと、今回のみ許すと、無罪放免。 La Serenaもそうであったが、Centroのホテルは、極端に古く、規模が小さい。 勢い、新しい地区の快適なホテルに目が行ってしまう。 ここ
Antofagastaでも結局、Centroのホテルを断念、海岸沿いのホテルとなった。 1泊100ドル。
2009年3月3日火曜日
Santiagoから太平洋沿いに北進開始
写真の挿入に若干の訓練必要と思われる。 Santiagoから470km北に向かい走る。 La Serena到着。 スペイン時代からの旧市街と長い海岸に密集する近代的アパート群が対照的な街。 旧市街の雰囲気を楽しむべく、適当なHotel探すも、結局海外通りの新しさを基準に選んでしまった。 昼食は、Santiagoで買ったサツマイモとジャガイモを足して二で割ったような芋を街道の途中でほおばり、それで終わり。 La Serenaに着いて、非常に古い市場にあるレストランで夕食。Restaurant Tresと言う名前。 ここでのCongrioというあわびもどきとCongrioと言う白身の魚の料理は絶品であった。 文句なし、自分がこれまで食した料理では、北海道の北海シマ海老に次いでのもの。 感激して、料理のシェフを呼び出し、かれの腕を称え、一緒に写真をと頼んだ。 チップもはずんだ。 (イヤ、これは普通であった。) とにかく、La Serenaに泊まれて良かった。
2009年3月2日月曜日
チト、仕事もせにゃ
愛車の定期点検のため、Subaraのチリ代理店、Indumotora社へ立ち寄り。 異常なしの太鼓判。実 にテキパキした対応に感心。 BRから前もって連絡しておいた事もあるのかも。 Officeも整頓されて内装のセンスも非常に良い。オイル、フィルターを交換し、タイヤの前後を入れ替え。後輪をそのまま前に、前輪を後ろの左右に入れ替えてくれるよう注文するも、Chileでは前輪と後輪をそのまま置き換えるのだと。 タイヤのお店で確かそのように教わり、知ったかぶりで話すも、アッサリと断られる。 しかし、仕事振りが大変丁寧で完璧な洗車もしてくれた。 我が愛車の当地に於ける値段を聞いて愕然。ほとんど、BRでの値段の半額ぐらい。 お昼直前、取引先を訪問、近々3万ドル相当の注文出すと。多少は、仕事もせにゃ社員の皆に申し訳ない。 スーパーで買った桃、6個で180円。大玉のマスクメロンが120円。 明朝は、La Serenaへ向け、出発。
2009年3月1日日曜日
Santiagoで2日目(日曜日)
この旅行の準備に当たり、Google.Mapが偉大な力になってくれた。しかも、すべてタダ 今朝は、朝食をルームサービス(日曜はレストラン休みのため、各Roomに運んでくれるのだそうだ)で取りながら、Goodleでホテルの位置と市内の行きたい場所を確認、それを細かくメモっておけば、確実に着くのだ。 その正確さ、敏速たるやもう20年もここで生活しているような錯覚。 その征服感が実に気持ちが良い。いっぺんにSantiagoフアンになりそう。 (ここで助手席からの声、「Googleのお陰ね」と)。 部屋にキッチンの設備あり、市場へ海産物の買出し。 (市場の海鮮料理点で昼食)
もちろんカニと貝類が中心。 桃が日本並みのサイズでまあまあの味。 他の野菜類と一緒に支払ったため、値段不明。 今夜は自炊。 ワインも忘れず買った。 どこで買物をしても、必ずレシートを呉れる。 街での路上駐車。 有料らしい看板あるも、どこでどう支 払うのやら。 2時間して戻ると市の職員らしき人が現れ、3500ペソの支払い切符。ゼロを一つ取って2倍すると円になる勘定。 路上で700円は、チト高い。
2009年2月28日土曜日
国際トンネルを抜けると雪が舞っていた
Mendozaを朝8時半ホテルPrincessを出発。 大体、どこの都市部でもそうなのだが、街に入る時は、まずはCentroを目指す。 尋ねながらでも、これで、苦労することはない。 問題は、次の目的地への移動の際、郊外へ出る道を間違わずに出ること。 朝の車のラッシュの中、自分の意思とは全く違う方向へハンドルを切らねばならない時ほど、惨めな事はない。 何回も聞き、理解したつもりでも現場に着くと頭真っ白。 現地人の説明も全員正しいとは限らない。 随分エー加減な情報も貰った。この点ベストは、何と言ってもTaxiの運ちゃん。 どれほど、助けられたことか。 無事にMendozaを後にして程なく、右手前方に雪を抱いた美しい連山が現れた。 今回の旅のクライマックスの一つ、Andes越えがいよいよ実現する。 山間に入り込むに従い、気温が下がり、風も強くなる。 景色は、一変、岩肌むき出しの殺伐とした山の中に吸い込まれる。 大型のトラックが半数ぐらい。 所々の道路補修工事で5箇所ぐらい片側通行。 その度に待たされる。 標高6900M級のアコンカグア登山口近くを走った筈なるも、どの頂がそれなのか、またここから見えるのか、見えないのか、良く分からない。 しかし、こんなにも雄大な景色を前に、はたしてこれ以上のものを自分は、今後出くわす事があるだろうか。 ARとChileの国境は国際トンネル。 割と質素な作りで、長さも1.5kmぐらいか(?)。 圧巻は、トンネルを出たとたん、雪が舞い降りて来たこと。 道産子の自分のDNAが急にうずくよう。 トンネルを越えてChile領なるも、そこから7km先にArとChileのImmigrationが仲良く、一つの建物にある。1から5までの窓口を順番に回ると、Arの出国、Chileへの入国、車の登録など、効率よく出来る。 BR税関も見習うべし。 さらには、余ったARのPesoをChileの通貨にその場で両替OK.余ったParaguayの通貨Guaraniを出したら、「それはNo」と、つれない返事。 因みにGuaraniのお札の汚いことと言ったら、ばい菌の巣をポケットに入れるようなもの。19時半Santiago到着。 Apart Hotel Tempo Rent 92ドル。 予算オーバーだが、広くキッチンもあるので、マーエーかと。月曜日ForesterのRevisãoをして貰うよう手配済み。 どうしても、写真がのっからない。 どうしてエー(?)
2009年2月27日金曜日
Mendozaで一休み
朝のんびりと起床。 モーニングコール抜きの就寝というのは、実に寝る前から心身が休まる感じ。12時出発のワイナリー巡りのツアーに申し込んであったので、それまで近くの商店街をブラブラ散歩。サンマルティン広場近くのアーケード、ブティックなど沢山あるが、どれも店構え、店内の装飾かなり洗練されている。 センスがイイ。Cafeteriaなど、飲みたくなくとも、本でも抱えて入りたくなるような衝動を覚える。 そんな場所がいくつもありながら、座った一軒の歩道に出したCafeteria. 座ってまもなく、四つ角のため、排気ガスをイヤっというほど浴びせられる。 Mendozaの観光客は、いたって多い。しかも、世界中からの客層。 ワイナリーの小型バス、3家族7名。 スエーデン、USAそれと我々。 Mendoza郊外Nortonと言うワイナリーにあるレストラン。 店内がまた素晴らしく、料理も抜群。 サービスも満点。 トイレの明るさ清潔さにもホレボレ。 一瞬、Peru,Boliviaを先行すべきではなかったかと思慮の足りなさを悔いる。 Californiaから来たという、ナントカという人(名刺の名前見てない)MRIの磁気を遮蔽する機器を扱っており、BRでのパートナー探していると言う。 当方が医療機器のBusinessをしていると言ったのが発端。 危うく、おいしい食事をしながらMRIの話になりそうなのをグッと押さえる。 どのような訳か、今日のこのページへの写真の挿入がうまく行かない。 従って、一番自慢したいシーンを載せる事出来なく、残念しごく。 明朝は、いよいよのAndes越え。
2009年2月26日木曜日
アンデスのふもとまで来ました
コルドバを出て、そろそろ飽きてきた大平原の一直線とは打って変わった風景を走った。 一面岩肌だらけの山を越えた。 久しぶりのカーブの連続、やはり走る実感は、コレコレ。 こんな田舎道まで、実に良く整備された道路が続く。 穴ぼこ一つ見つからないのは、どういう事。 やはり、戦前の先進国ARの充実したインフラを感じさせる。 Mendoza手前、200kmぐらいから又緑と化した。 勿論、広大なブドウ畑。 古臭いカミオンがブドウを満載して行きかう。 当然今夜は、Bife de Chorizo & Vino tinto. 一人前を二人で分け、約20ドル。 3.5Pesos /US$のため、かなり割り安感あり。 街中活気あり。 昨年の経済成長率記憶に間違いなくば、確かBRをかなり上回ったはず。 ホテルは3星、Princess、朝食付き200Pesos。
2009年2月25日水曜日
2009年2月23日月曜日
ARGENTINAに入りました
女房殿の体調も回復、Asuncionのホテルを8時出発。13時には、
Encarnacionに到着。 この区間の道路状況良く分からずいたが、
本日450km走ってびっくり。 素晴らしいの一言。 もちろんBRの片側2車線、3車線の幹線道路には及ばないものの、想像していた状況とは全く違った。 ユネスコの世界遺産Trinidad遺跡の話を聞き、
Encarnacionを30km通り越して、昼食を兼ねて見物。 世界遺産のわりには、説明資料の類はゼロ。 入場券売り場のネーちゃんに、何かないのかと聞くと、Paraguay全国の日本語パンフレット一枚呉れた。 Encarnacionには、宿泊せず、イグアスー河対岸のArgentina側の町、Posadasに渡る。
BR出国時教わった、車の登録や保険のなど、一切問われず、拍子抜けするほど、スムーズ。
ARのPeso弱く、1ドル3.5Peso。 食事してもかなりの割安感。 チョット、贅沢してやるか。
2009年2月22日日曜日
Asuncionもう1泊
朝9時打ち合わせ通り、Argon社のSr.CarlosがHotelロビーに到着。脳外の医療機器を国立大学病院に納入予定。医療機器市場の7割が公立病院。 又、私立病院市場の8割が中古機器が占めるらしい。 この後、Encarnacionに向かう予定を変更、Asuncionのホテル内山田新館にもう一泊する事にした。 理由は、カミさんの体調。 日本から帰り、4泊してすぐのこの旅で、多少の疲れも出たのかも。 外は、42度の猛暑。 それでも、身体を物理的に動かす必要を感じ、セントロに向け散歩。 日曜日の首都は閑静そのもの。 Lanchonete,Padariaの類も極端に少ない。 暑さに堪らず、たまたま見つけたレストランに入る。 直ぐ階段あり、2階へ。 応接間らしい空間を通って直進。歴史的な建物らしく、さらにドアーを開けたところでようやくレストランらしい雰囲気に。 中のシャンデリアと黒で正装(?)したボーイ達の姿に一瞬たじろぐも、それを悟られまいとするボク。 聞けばビフェースタイルと。 ボーイに妻がお腹の調子悪く、アラカルトで行きたいのだが、と。 しかし、メニューの値段を見て、直ぐ変更。 妻には、ビフェーで行くと一言。 彼女が食したデザートの異常なヴォリュームに腹具合の怨念のようなものが。
2009年2月21日土曜日
Paraguayを東から西へ縦断、Asuncion着
運転には、曇天の方が気持ち良い。 朝、BR側からParaguayへ。
Cidade del Esteへの買物客の車の列の中、ついImigrationの出国手続きせず、Paraguay側入国。 入国審査でBR側出国のスタンプはと聞かれ、慌ててBR側に逆戻り。 何ともナサケナヤ。 BR側で出国の手続き中、私のパスポートについて、何か問題あるらしく連邦警察窓口の女性職員が上司となにやら相談、判断を伺っている様子がガラス越しに丸見え。 さらにたまにチラチラこちらを伺う。(オーイ、やめてけれ! オレ何もしてネーゾ。) ついに、奥の上司殿が腰を上げ、私に向かって来る。 まるで判決を待つj容疑者の気分。「セニョールはパスポートを2通所持しておる。説明願いたい」と。言い方は丁寧なるも、上司殿の目は、完全に犯罪者向け。 (チクショウ!何だってこんなところで)、と思いつつも、心を落ち着け、何かの間違いであること、更新した古い番号がまだコンピューターに残っているのでは、など冷静に説明、多分、私のどこまでも澄んだ目が彼らをして全ての事情を察したのでしょう、素直にOKと。 Ciadade del Este在住のSご夫妻を訪問、昼食をご馳走になる。 Paraguay側、今日は42度の猛暑。 街道沿いの緑の濃さには圧倒される。 BR側で聞いていた車両運転許証、今は必要ないと。 18時半、内山田ホテル投宿。 Paraguayは、恐らく世界一空気のおいしいところでは。 本日の走行370km。
2009年2月20日金曜日
第一日目 イグアスー到着
一時間の遅刻で起床。 朝飯も抜き。 会社へ忘れ物。 女房が用意した引越し級の荷物を積み込み、何やかにやでアパート前を出発出来たのは、6時45分。 Curitibaの郊外のバイパスを経由、国道277号線をひたすら走り、イグアスー20時半着。 街道沿いのホテルBest Westanに飛び込む。サンパウロを発って、1080kmの走行距離。 途中のクアレズマ、イッペーの見事な花が街道沿いに咲き乱れていたのが印象的。 まずは、快調なスタート。
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