2009年3月19日木曜日
Chimbote & Manco Inca
2009年3月18日水曜日
Peruへ再入国
2009年3月17日火曜日
世界3大長寿の村 Vilcabamba着
Cuencaを後にLojaに向かう。 Equadorの内陸に入るに従い、道路の状況を心配していたが、穴ぼこは沢山あるものの、現在整備中で恐らく来年あたり、完璧な状況になろう。 Cuencaは、海抜2550Mの高地であった。 ここに着く途中も高地が続いたが、大いにPeruとの違がはっきりしている。 Equadorの方は、同じ高地でも、森林など緑が豊富なため、路肩のそばまで木々があったり、緑で眼下が遮られていたり、心理上ではあるが、あまり不安感ない。 一方、Peru の方は、砂漠の山脈がストーンと1000M太平洋に落ちているため、路肩からもろに遥か下方を足元から見渡せる感じ。 スリル満点。
Equadorの緑は、実に美しい。 ここVilcabambaは、長寿で世界的に知られた村。 中心の広場へ行って、外国人の多さにまず驚かされる。 長寿の秘密は何か。 まず興味しんしんで着いたものだが、はたして老人どころか目に付くのは、英語やフランス語を話している外人とそれを相手に商売している現地の人間ばっかし。 聞くところ、長寿のブランドに引かれて世界中からそれにあやかりたい人間が家を構えているのだそうだ。 洗車で知り合った建築会社のオーナーの話では、Vilcabambaの経済は、もはやこれらの海外からの移住者でもっているのだと。 緑濃い山間に散在する瀟洒な建物はみるからにゴージャスで、憧れをそそるには、充分な風景である。 文句なしにきれいだ。 公園で一人のお爺さんがいた。 早速、近づき長寿の秘密を。 年齢88歳で奥さんとの二人暮し。 子供7人は田舎を離れて暮らしている。 子供の話ばかりで中々核心のテーマへの回答出て来ない。 自分は小さい時から随分働いたと。 食べ物は、肉も含め何でも食べると。 勿論ここの水は良いと。 昔は静かだったが、最近は随分人が増えてダメになったと。 結局、現地調査までして、サンパウロに帰って自慢げに話せるような収穫は、ゼロ。 こちらには、Vilcaguaと言う水がある。 秘密はこれに違いないと6本購入。 しかし、自分の親父は早死にだった、という先のお爺さんの話で世界の長寿村までやってきた運転の疲れが一気に。 すれ違いに会う子供や高校生がこちらに挨拶をしてくれる。 実に気持ちが爽やかになる。
2009年3月16日月曜日
CuencaでEquadorの歴史を
ネタは、まあまあなるも、米が8分ぐらいの炊き上がりで今ひとつ。 二人で50ドル。 今夜は、最後のEquador. Hotelの部屋からは、IluminationされたSanto Domingo教会が、美しく映えている。
Equadorの京都、Cuenca着
昨日の腹痛も治まり、ほぼ体調を回復。 日曜日とあって車も少なく、大都市のCentroから地図を頼りに抜け出すには絶好の条件。 13時には、古都Cuenca着。 街中は、人通りすくなく、閑散として町並みを良く観察できる。 Hotel El Conquistadorは、Central広場に近接しており、Restrant,Cafe など多くあり、便利なところ。 お市街と新市街あり、ホテルは、旧市街のど真ん中。 Guayquilでアクセス出来なかったInternetもここは、OK. Internetにアクセス出来ないと一種の禁断症状を呈する。
明日は、一日ここを観光予定でもう一泊する。 途中、この地方の聖地で会った現地のFamilyと話すチャンスあり。 とても平和で穏やかに表情の家族であった。 とくにIndio風なおばあさんの顔がとても良かった。 (どうして、写真の貼り付け出来ないのか不明)
Guayaquilでダウン
14日の明け方からお腹が雷みたいにゴロゴロ鳴り出す。 朝からかって経験したことのない様な強烈な腹痛。 しびれるような痛さ。 昨夜のカニが原因か。 Marioと奥さんのAlesandraがカニのどうがらにトマトと玉ねぎのみじん切りを入れ、脳みそを美味しそうに食べていたのを自分も真似をして食べた。北海道の毛蟹、花咲がになどの味噌は、味噌のみをきれいに選別できるも、泥カニの方は、そうはっきり区別つかなく、これまでも食べて来なかった。 腹痛は、まるで陣痛のように4-5分おき、確実にやって来る。 結局嘔吐するまで続き、14時頃やっとベットを離れた。 土曜のうちにパンクを修理をせねば、明日の日曜日は、難しいのではと言う判断から。 Guayaquilの一日観光は、これでフイになった。 もちろん、3食なし。 助手が、パンクといい下痢といい、13日の金曜日ヨ、と余計な事を言っていた。 Guayaquilは、20年前ぐらいに行ったが、昔の面影全くなし。 医療機器の販売では、この金融危機の影響出ていないと、Marioの話。
2009年3月15日日曜日
赤道直下の国Equador
たまに、写真の貼り付け出来ない事があり。13日、朝Tumbesを遅めに出発。いよいよEquadorへ。Tumbesから国境へは20分ぐらいの距離。 国境の街Zarmillaに着くと、旅行者のImigration. Integrado System取っていないため、Peru Equadorそれぞれで手続きの必要あり。 Peru側標識が不完全でPeru入国側へ車を突っ込む。 出国の方へ着くなり愛想のいい若者があれこれ教えてくれる。 税関の役人でない事は確か。 書類の書き込みをテキパキと指示、いろいろな窓口へ連れってくれる。 その内、今度は、Equador側の世話人らしき男がジョイント、Equador側でもこちらは何もせず。 いくら払えば良いのか、不安になり尋ねると、正規の料金プラスティップと、正確には、言わない。
窓口が煩雑なのに加え、案内標識が不足しており、もう彼らに任せた。 Equador側の車の登録を済ませ、その後旅行者のImigarationをEquadorの国境の町Huaquillaに入って7kmも走ったところで入国のスタンプを貰う。 一人旅の旅行者にとっては、不便この上ない。 入国のスタンプを貰うためわざわざそこまで行く必要あり。 そしてまた、Huaquillaに戻り、他の交通を利用する。 我々の場合は、車があり、内国に進む途中故に問題なかったが。 結局、彼らには、手数料20ドルと40Soles計35ドル払った。 途中、Machalaの海岸で昼食と取る事にして、6kmほど国道をそれる。 市内でパトロール中の警官に止められ、BRでは普通に使用されている車のガラスに貼るアンバーのシールがEquadorでは使用禁止と。 剥がせとの仰せなるも、BRから来た事を告げるとOK,行って宜しいと。 海岸では15軒くらいのレストランがずらりと並び呼び込みの若い女性に囲まれそうになり、知ったふりしてある店に直進。 Equadorでの通貨がUS$とは知らなかった。 てんこ盛りのCevicheが6ドルぐらい。 Guayaquiまでは260km。 途中は、広大なバナナ園を国道の左右に見ながら走る。 Equadorに入ってからの緑は、非常に美しい緑だ。 岩だらけの土地を何日も走って来た目には、新鮮そのもの。
Guayaquilの手前80kmぐらいで大きな穴を避けきcれず、前輪をパンクさせた。 通行量の多い片側1車線で助手を50m先で後続の車に合図させる。 Centroに着いてからコンタクトのあるMarioに電話、ホテルを紹介してもらう。 夜は、自宅に招かれたがこれがまたスゴイ邸宅。 裏庭には湖が続いており、そこから魚を釣るのだと。 カニの専門店へ招待受け、大満足でホテルへ帰る。
2009年3月13日金曜日
禿山がちりちり毛に
添付の写真はエアーを入れているところ。 恐ろしく長いチューブがぶら下がっている。 Ecuadorとの国境の街、Tumbes着。 国境まで車で20分という。 小さな街では、「この街で一番良いホテルはどこか」と強気で聞ける。 何故なら、それでも4000円ぐらい。 それも朝食付き。
2009年3月12日木曜日
Peruでの安全走行のため
Lima-Trujillo間で3回の検問にあった。 意を決してここTrujilloでMapfre社事務所を探し、Soatと言われる強制保険に入る。 聞いていたTemporaryのものは、存在しないと、結局一年間有効のものを申し込み65ドル掛かった。 これで、警官の検問にも強気で出られる。 もう、ビタ一文払わない。 ホテルでも、レストランでも、一般にPeru人の接客態度は、非常に良い。 勿論、行動範囲は、限られているものの治安面での不安感は街からは感じられない。 7時間の観光バスに乗る。当方、知識ゼロであったが、3箇所の遺跡巡りをした。 Huaca de la Luna, Chan-Chan, Mochi. 西暦100-400年、800-1000年に栄えていたIndioの文化。 Ecuador国境にかけて、色々な地域に全体で60万人ぐらいの勢力を持っていたと。 泥の構築物が中心で8箇所の宮殿など、現在発掘の真っ最中。 全貌の解明はこれからで、遺跡に興味ある人には、たまらないはず。 スペイン語にも聞く方は、ようやく慣れて来た。 但し、話す方はまだまだポルトガル語が邪魔する。 この街には、Taxiがやたらと多い。 良い雰囲気の街並みにヒステリックなクラクションは、艶消し。 「どうして、そんなに鳴らさにゃいかんの」とTaxiの窓に顔を突っ込みたいぐらい。 ホテルの前のクリーニング屋さん。 Gパン3本Tシャツ4枚で、10Soles(US$3.00)。 本日の夕食、ピスコサワー2杯、ステーキ、スパゲティー、計75Soles.
2009年3月11日水曜日
スペイン風の町Trujillo
Trujillo到着まで、3回の検問。 街道筋にやたらと警官の姿が目に付く。 Ar,Chile,Paraguayの保険は、付保出来ているが、Peru,Equadorについては、サンパウロで出来なかった。 3回の検問中。2回協力金を払う。 35kmの制限速度を50kmで走った事と、Peruをカlバーする保険ないため。 協力金を免れたもう件は、BRの保険をInternationalと勘違いしてくれたため。 60ドルと40Soles。 そんなわけで、明日は、この街でTemporaryの保険に入る手続きをする。
出来れば、Equadorの分を含め。 Trujilloは、30年前旅行したスペインのアンダルシア地方の街の雰囲気に似ている。 落ち着いたシックなたたずまい。 騒然としてLimaから来た性か、何か安堵する。
2009年3月10日火曜日
Lima到着
Bedの横の超大型のカガミが気になる。 今日の昼食は、もちろん又Ceviche. 酢とレモン、唐辛子がほどよく利いて、材料のささえ、えび、白身の魚、イか、たこ、その他本当に新鮮なのが歯ざわりで分かる。
えびが本当の海老の味。つまり、BRで食する海老は、海老本来の味がない。 ここのCeviche は、食材本来の味をそのまま楽しませてくれる。 若干、腹の具合良くないという助手も、このCevicheの味と本来の旺盛な食欲には勝てず、結局ただゆっくり食しただけで、量といえば「抑え目に」と言って食べ始めた宣言とは、全く無関係。 約、3%ほど形だけお皿に残す。
2日前、街道筋のレストランで頼んだ料理。 写真のごとく、何かにそっくり。 4本の足と顔の歪み、引きつれ具合、この小動物が受けた苦痛が想像される。 ハシを付けかねていると、助手が「もったいない」、と一言、「たんぱくな味」と。 さらに、「知ったフリして頼むから、コウユー事に」とトドメを刺す。
後で辞書を引っ張り、ヤッパリと。 辞書には、「てんじくネズミ」と。 もちろん、助手には、まだ言っていない。
2009年3月8日日曜日
地上絵のナスカ
、
2009年3月7日土曜日
地方都市の良さ
2009年3月6日金曜日
インカ帝国入城
う
Peru到着。 国境より、39kmのFree Zone Tecna着.
CHILEとPERUにImmgaraion同じたてものを共用。 しかし、Peru入国の手続きは、煩雑。 Peru国境は、Chileのそれとくらべて雲泥の差。 まず入国に必要な書類が誰に聞いても、まともにその置かれるべき場所に配置されていない。 書類を捜すだけでも30分は、ロスとなる。 書類が全部OKと思いきや、Peru全国を車でCover通過出来るDocumentは、別と。 税関役人と思し人が黒のChalecを身に着けているが、誰がChileの税関役人でどれががPeruのそれか旅行者に区別出来る訳がない。 Arikaの手前、20kmで前輪左がパンク。 30分でススペアタイヤ交換。 AricaのCentroで修理。 2,000Pesos。 昼食なしの一日。 Museoで知り合ったガイドに聞いた日本人経営のRestaurant Chifa Sawaiへ行く。 Yonamineさんが経営と言う。 オーナーには会えず。 1800年代、もともとPeruの領土であったIquique,AricaをChileに占領されたと。50年後Peruへ復活した8月28日を祝うらしい。 昨夜、酔っ払って書いたBlog、めちゃくちゃの内容。 今、見直した。
2009年3月5日木曜日
チリのとりこ
Iquiqueは、Free Zoneのため、車の持ち込みの検査受ける。 海岸通りは、リトルRioを思い出させる。 治安面での不安ゼロ。 もう一枚の写真は、街道に点在するお墓のよう。 交通事故に遭った人と思われる。 これがかなりの数。 もう一枚は、助手(昼間はただひたすら睡眠をむさぼっておる。お腹がすくと、地図を見てこの街で食べると命令)に愛車の走行の様子を撮らせたもの。
2009年3月4日水曜日
滑走路の上を走っているよう
La SerenaからAntofagastaまで移動した。 940km走った勘定なるが、今夜はさすがにくたびれた。 La Serenaを過ぎると、風景が一変する。 もっと、北の方から砂漠が始まるのと思っていたが。 とんでもない。 La Serana以北は、緑ひとつない砂漠。 これまでの常識を根本的に変える風景と出くわす。 同じ乾燥地帯でも微妙な変化を見せる。 Antofagastaは、28万人の町だが、食料の全てを外部依存という。 大きな港もある。 初めてスピード違反で捕まる。 チリ警察のパトカーは、速度計を積んで走っているよう。 137kmと指摘された。 最高速度100kmという、
チリの法律を遵守せよと。 当方、それはごもっともだが、もう少し速度の標識をつけてくれれば、判りやすくなると。 Penaltyがいくらとか言っていたが、余り頭に入らず。 どこまで行くのかという問いにPeruまでだ、というと、今回のみ許すと、無罪放免。 La Serenaもそうであったが、Centroのホテルは、極端に古く、規模が小さい。 勢い、新しい地区の快適なホテルに目が行ってしまう。 ここ
Antofagastaでも結局、Centroのホテルを断念、海岸沿いのホテルとなった。 1泊100ドル。
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