2009年3月13日金曜日

禿山がちりちり毛に

一国の領土と言うのは、必ずしも地図で見る広さに比例する訳ではない、との認識を新たにした。 と言うのも、チリのSantiagoを出て北上を続けて来たが一貫して不毛の土地の連続。  緑があるのは、河川が通っている地帯のみ。いかにブラジルの土地が恵まれているものか実感する。 今日になって、初めて山肌に緑らしきものが覆い始めて来た。 750kmぐらい走った。 途中、昼食のためある村に立ち寄った。 Centroまで行き、村人の注目を一心に浴びて、レスランを探す。 4件ほどある中のBestという所に行き、一瞬後ずさりしそうになった。 すぐ左手が2平米ぐらいの厨房。 そこで、煮炊きをしているオバハンと手伝いの娘。 取り敢えずテーブルへ。 直ぐ、学校帰りの次女と三女が我々と同じテーブルに付き、お昼ごはん。 なんとも微笑ましいがスゴイ食欲。 言われるままのご飯を食べ、二人で1リットルのペプシコーラ付き380円。
添付の写真はエアーを入れているところ。 恐ろしく長いチューブがぶら下がっている。 Ecuadorとの国境の街、Tumbes着。  国境まで車で20分という。 小さな街では、「この街で一番良いホテルはどこか」と強気で聞ける。 何故なら、それでも4000円ぐらい。 それも朝食付き。

2009年3月12日木曜日

Peruでの安全走行のため

Lima-Trujillo間で3回の検問にあった。 意を決してここTrujilloでMapfre社事務所を探し、Soatと言われる強制保険に入る。 聞いていたTemporaryのものは、存在しないと、結局一年間有効のものを申し込み65ドル掛かった。 これで、警官の検問にも強気で出られる。 もう、ビタ一文払わない。 ホテルでも、レストランでも、一般にPeru人の接客態度は、非常に良い。 勿論、行動範囲は、限られているものの治安面での不安感は街からは感じられない。 7時間の観光バスに乗る。当方、知識ゼロであったが、3箇所の遺跡巡りをした。 Huaca de la Luna, Chan-Chan, Mochi. 西暦100-400年、800-1000年に栄えていたIndioの文化。 Ecuador国境にかけて、色々な地域に全体で60万人ぐらいの勢力を持っていたと。 泥の構築物が中心で8箇所の宮殿など、現在発掘の真っ最中。 全貌の解明はこれからで、遺跡に興味ある人には、たまらないはず。 スペイン語にも聞く方は、ようやく慣れて来た。 但し、話す方はまだまだポルトガル語が邪魔する。 この街には、Taxiがやたらと多い。 良い雰囲気の街並みにヒステリックなクラクションは、艶消し。 「どうして、そんなに鳴らさにゃいかんの」とTaxiの窓に顔を突っ込みたいぐらい。 ホテルの前のクリーニング屋さん。 Gパン3本Tシャツ4枚で、10Soles(US$3.00)。 本日の夕食、ピスコサワー2杯、ステーキ、スパゲティー、計75Soles.

2009年3月11日水曜日

スペイン風の町Trujillo

首都のリマから北上、Trujilloに着いた。 この路線につても全くの情報なく、随分心配していたが、余計な心配であった。 Arequipaを過ぎてから幸いにもあまり高い山岳地帯を運転しなくて済んでおり、かなり 神経も休まる。 その代り、LimaからPanamerican道路に出るのに随分手間取る。 加えて、Lima朝の車の洪水は、想像を超えるすごいもの。 サンパウロなどまだまだ。 うるさい事に意味をなさないクラクションを鳴らしそれが渋滞のイライラを加速させる。 歩行者もどんどん車の列を潜り抜ける。 しかも、こちらの方など振り向きもせず、渡る。
Trujillo到着まで、3回の検問。 街道筋にやたらと警官の姿が目に付く。 Ar,Chile,Paraguayの保険は、付保出来ているが、Peru,Equadorについては、サンパウロで出来なかった。 3回の検問中。2回協力金を払う。 35kmの制限速度を50kmで走った事と、Peruをカlバーする保険ないため。 協力金を免れたもう件は、BRの保険をInternationalと勘違いしてくれたため。 60ドルと40Soles。 そんなわけで、明日は、この街でTemporaryの保険に入る手続きをする。
出来れば、Equadorの分を含め。  Trujilloは、30年前旅行したスペインのアンダルシア地方の街の雰囲気に似ている。 落ち着いたシックなたたずまい。 騒然としてLimaから来た性か、何か安堵する。

2009年3月10日火曜日

ナスカの火の見やぐら

朝ナスカを出発してリマに向かう。 地上絵を求めて世界中からの観光客で賑わっている。 日本人のグループにも何組か会う。 小型機に乗らないと何のためにナスカに宿泊するのやら。 途中、展望塔あり、一人60円。 助手が20段ぐらい上った所で「もうダメ」と。 心臓がおかしいのだと。 余り、期待していなかったが、助手をおいて上って見ると3箇所の絵を見る事が出来、60円を無駄にさせじと無理やり助手も引き上げる。 途中の手すりや錆びれた鉄の階段を見ると、小型機より怖い。全部で70種類の絵が確認され、BC600年からAC900年ぐらいに作られたもの。 いまだ誰がどのような目的で描いたのか、謎。

Lima到着

ついにリマ到着。リマには、過去15回ぐらいは訪れているが、最近は長い間ご無沙汰。 Miraflores界隈のホテルは、満杯。セントロ方面に向かう途中に偶然目にしたホテルFerruaに投宿。 2400円は、安い。 これまで全て朝食は、込みであったので、イチオウ念のため、Desayunoは込みかと聞くと、2泊したら付けるとの返事。何じゃコレ。
Bedの横の超大型のカガミが気になる。 今日の昼食は、もちろん又Ceviche. 酢とレモン、唐辛子がほどよく利いて、材料のささえ、えび、白身の魚、イか、たこ、その他本当に新鮮なのが歯ざわりで分かる。
えびが本当の海老の味。つまり、BRで食する海老は、海老本来の味がない。 ここのCeviche は、食材本来の味をそのまま楽しませてくれる。 若干、腹の具合良くないという助手も、このCevicheの味と本来の旺盛な食欲には勝てず、結局ただゆっくり食しただけで、量といえば「抑え目に」と言って食べ始めた宣言とは、全く無関係。 約、3%ほど形だけお皿に残す。
2日前、街道筋のレストランで頼んだ料理。 写真のごとく、何かにそっくり。 4本の足と顔の歪み、引きつれ具合、この小動物が受けた苦痛が想像される。 ハシを付けかねていると、助手が「もったいない」、と一言、「たんぱくな味」と。 さらに、「知ったフリして頼むから、コウユー事に」とトドメを刺す。
後で辞書を引っ張り、ヤッパリと。 辞書には、「てんじくネズミ」と。 もちろん、助手には、まだ言っていない。

2009年3月8日日曜日

地上絵のナスカ

地上絵で有名なナスカに着きました。 助手が小型飛行機に乗りそうもないので、諦める。 場所はと言えば、明日Limaに向う道筋にあると言う。しかも、その場所からは、一部なれど見られるらしい。 そこで頑張ってみる。 ここまでの道中は、帰り又通ることになる道筋。 アンデス山脈が直接海に落ち込んでいる場所の道路は、往路と復路で海側と山側に分かれる。 今日往路で山側。 帰りは当然反対側となる。山 側でもあまり左側の断崖絶壁を見ないように走る。 一千メートル以上もある場所になると、手汗を感じる。 本日は、砂丘のような場所にも出くわす。 道路を一本挟んで、右砂丘、左は刈時の水田。このコントラストが大変面白い。 Nazcaは、小さな街。 昼間は、暑いので、夜になると店やレストランが、営業を開始する。  日本の旅行者もかなり多いと。 4月から9月までが、刈り入れ時らしい。飛行機の遊覧料金US$50.00(一人)。  小型機には、乗客2人乗りと5人乗りがある。

2009年3月7日土曜日

地方都市の良さ

チリとの国境の町Tacnaを出て、県庁所在地のArequipaを避け、さらに100km南の海岸沿いの町、Cmanaに着いた。 途中、BR人ライダー4人組と会う。 マシンは勿論ハーレー。 クスコまで北上すると言う。 もう一人、ランドローバーで一人旅のBR人とも会う。 行き先を尋ねられ得意げに「出来ればEquadorまで」と言うと、当のBR人「自分は、アラスカへ行く」と。 とたんに尊敬の念で一杯になる。 何と、6ヶ月かけてUSA,カナダを回るのだと。 もう自分の40日などナンデモナイ、と急に強気になる。 相変わらずの不毛の景色なるも、チリのそれはいかにも何か鉱物資源に満ち満ちた感じだが、ペルーは見るからに石ころだらけという感じ。 考えて見れば、我々緑が当たり前と思っている環境がむしろ地球規模では少ないのではと考える。 あ日間かこのような景色ばかりを見て、久しぶりに山間の緑の空間を見つけるとやたらと懐かしさ、安らかさで一杯になる。 ここ、Camanaは、小さな町ながら、地方都市独特の雰囲気、人情味あふれる。 おそらく、一生ここに来る機会は生涯ないと思うと、また違う愛着を感じる。

2009年3月6日金曜日

インカ帝国入城

Peru到着。 国境より、39kmのFree Zone Tecna着.  CHILEとPERUにImmgaraion同じたてものを共用。 しかし、Peru入国の手続きは、煩雑。 Peru国境は、Chileのそれとくらべて雲泥の差。 まず入国に必要な書類が誰に聞いても、まともにその置かれるべき場所に配置されていない。  書類を捜すだけでも30分は、ロスとなる。 書類が全部OKと思いきや、Peru全国を車でCover通過出来るDocumentは、別と。 税関役人と思し人が黒のChalecを身に着けているが、誰がChileの税関役人でどれががPeruのそれか旅行者に区別出来る訳がない。 Arikaの手前、20kmで前輪左がパンク。 30分でススペアタイヤ交換。 AricaのCentroで修理。 2,000Pesos。 昼食なしの一日。 Museoで知り合ったガイドに聞いた日本人経営のRestaurant Chifa Sawaiへ行く。 Yonamineさんが経営と言う。 オーナーには会えず。 1800年代、もともとPeruの領土であったIquique,AricaをChileに占領されたと。50年後Peruへ復活した8月28日を祝うらしい。 昨夜、酔っ払って書いたBlog、めちゃくちゃの内容。 今、見直した。

チリ北部にぞっこん

昨夜作成のBlog,最後の投稿のクリックで内容が突然消える。 又書き直し。 腹が立つ。タダと言うのが唯一、自分を抑える説得理由。 もっとも、ホテル側サーバーの問題かも。 取り敢えず、試しにこれだけ載せてみる。

2009年3月5日木曜日

チリのとりこ

Chile最後の街、Iquiqueに向かう。 旅の醍醐味が予期せぬことや未知なるものへの出会いとすれば、今回のこれは全くそれそのものと考える。 言葉には言い尽くせない自然の広大さ、スケールの大きさ、偉大さは、表現のしようがないぐらい。 Andes山脈がそのまま海に落ち込んでいる。 途中、Salarという塩の天然掘りの場所を見学。 イキケの手前50km。 掘り起こしの中には、入れなかったが、日本へも月六船ほど輸出している由。 これらの露天掘りがこの辺何百キロ四方何箇所もある。 Minerioの国Chileの素顔だ。 昼食は、街道筋チャニャラルの市場の飯屋。  Pailaという煮込み料理。  これが絶品う。
Iquiqueは、Free Zoneのため、車の持ち込みの検査受ける。 海岸通りは、リトルRioを思い出させる。 治安面での不安ゼロ。 もう一枚の写真は、街道に点在するお墓のよう。 交通事故に遭った人と思われる。 これがかなりの数。  もう一枚は、助手(昼間はただひたすら睡眠をむさぼっておる。お腹がすくと、地図を見てこの街で食べると命令)に愛車の走行の様子を撮らせたもの。 

2009年3月4日水曜日

滑走路の上を走っているよう

La SerenaからAntofagastaまで移動した。 940km走った勘定なるが、今夜はさすがにくたびれた。 La Serenaを過ぎると、風景が一変する。 もっと、北の方から砂漠が始まるのと思っていたが。 とんでもない。 La Serana以北は、緑ひとつない砂漠。 これまでの常識を根本的に変える風景と出くわす。 同じ乾燥地帯でも微妙な変化を見せる。 Antofagastaは、28万人の町だが、食料の全てを外部依存という。 大きな港もある。 初めてスピード違反で捕まる。 チリ警察のパトカーは、速度計を積んで走っているよう。 137kmと指摘された。  最高速度100kmという、
チリの法律を遵守せよと。 当方、それはごもっともだが、もう少し速度の標識をつけてくれれば、判りやすくなると。 Penaltyがいくらとか言っていたが、余り頭に入らず。 どこまで行くのかという問いにPeruまでだ、というと、今回のみ許すと、無罪放免。 La Serenaもそうであったが、Centroのホテルは、極端に古く、規模が小さい。  勢い、新しい地区の快適なホテルに目が行ってしまう。 ここ
Antofagastaでも結局、Centroのホテルを断念、海岸沿いのホテルとなった。 1泊100ドル。

2009年3月3日火曜日

Santiagoから太平洋沿いに北進開始

            (La serena スペイン時代からの市場)
写真の挿入に若干の訓練必要と思われる。 Santiagoから470km北に向かい走る。 La Serena到着。 スペイン時代からの旧市街と長い海岸に密集する近代的アパート群が対照的な街。 旧市街の雰囲気を楽しむべく、適当なHotel探すも、結局海外通りの新しさを基準に選んでしまった。 昼食は、Santiagoで買ったサツマイモとジャガイモを足して二で割ったような芋を街道の途中でほおばり、それで終わり。 La Serenaに着いて、非常に古い市場にあるレストランで夕食。Restaurant Tresと言う名前。 ここでのCongrioというあわびもどきとCongrioと言う白身の魚の料理は絶品であった。  文句なし、自分がこれまで食した料理では、北海道の北海シマ海老に次いでのもの。  感激して、料理のシェフを呼び出し、かれの腕を称え、一緒に写真をと頼んだ。  チップもはずんだ。 (イヤ、これは普通であった。) とにかく、La Serenaに泊まれて良かった。

2009年3月2日月曜日

チト、仕事もせにゃ

愛車の定期点検のため、Subaraのチリ代理店、Indumotora社へ立ち寄り。 異常なしの太鼓判。実    にテキパキした対応に感心。 BRから前もって連絡しておいた事もあるのかも。 Officeも整頓されて内装のセンスも非常に良い。オイル、フィルターを交換し、タイヤの前後を入れ替え。後輪をそのまま前に、前輪を後ろの左右に入れ替えてくれるよう注文するも、Chileでは前輪と後輪をそのまま置き換えるのだと。 タイヤのお店で確かそのように教わり、知ったかぶりで話すも、アッサリと断られる。 しかし、仕事振りが大変丁寧で完璧な洗車もしてくれた。 我が愛車の当地に於ける値段を聞いて愕然。ほとんど、BRでの値段の半額ぐらい。 お昼直前、取引先を訪問、近々3万ドル相当の注文出すと。多少は、仕事もせにゃ社員の皆に申し訳ない。 スーパーで買った桃、6個で180円。大玉のマスクメロンが120円。 明朝は、La Serenaへ向け、出発。

2009年3月1日日曜日

Santiagoで2日目(日曜日)

この旅行の準備に当たり、Google.Mapが偉大な力になってくれた。しかも、すべてタダ 今朝は、朝食をルームサービス(日曜はレストラン休みのため、各Roomに運んでくれるのだそうだ)で取りながら、Goodleでホテルの位置と市内の行きたい場所を確認、それを細かくメモっておけば、確実に着くのだ。 その正確さ、敏速たるやもう20年もここで生活しているような錯覚。 その征服感が実に気持ちが良い。いっぺんにSantiagoフアンになりそう。 (ここで助手席からの声、「Googleのお陰ね」と)。 部屋にキッチンの設備あり、市場へ海産物の買出し。  (市場の海鮮料理点で昼食)
もちろんカニと貝類が中心。 桃が日本並みのサイズでまあまあの味。 他の野菜類と一緒に支払ったため、値段不明。   今夜は自炊。 ワインも忘れず買った。 どこで買物をしても、必ずレシートを呉れる。 街での路上駐車。 有料らしい看板あるも、どこでどう支 払うのやら。 2時間して戻ると市の職員らしき人が現れ、3500ペソの支払い切符。ゼロを一つ取って2倍すると円になる勘定。  路上で700円は、チト高い。

2009年2月28日土曜日

28日の写真

国際トンネルを抜けると雪が舞っていた

Mendozaを朝8時半ホテルPrincessを出発。 大体、どこの都市部でもそうなのだが、街に入る時は、まずはCentroを目指す。 尋ねながらでも、これで、苦労することはない。 問題は、次の目的地への移動の際、郊外へ出る道を間違わずに出ること。  朝の車のラッシュの中、自分の意思とは全く違う方向へハンドルを切らねばならない時ほど、惨めな事はない。 何回も聞き、理解したつもりでも現場に着くと頭真っ白。 現地人の説明も全員正しいとは限らない。 随分エー加減な情報も貰った。この点ベストは、何と言ってもTaxiの運ちゃん。 どれほど、助けられたことか。 無事にMendozaを後にして程なく、右手前方に雪を抱いた美しい連山が現れた。 今回の旅のクライマックスの一つ、Andes越えがいよいよ実現する。 山間に入り込むに従い、気温が下がり、風も強くなる。 景色は、一変、岩肌むき出しの殺伐とした山の中に吸い込まれる。 大型のトラックが半数ぐらい。 所々の道路補修工事で5箇所ぐらい片側通行。 その度に待たされる。 標高6900M級のアコンカグア登山口近くを走った筈なるも、どの頂がそれなのか、またここから見えるのか、見えないのか、良く分からない。 しかし、こんなにも雄大な景色を前に、はたしてこれ以上のものを自分は、今後出くわす事があるだろうか。 ARとChileの国境は国際トンネル。 割と質素な作りで、長さも1.5kmぐらいか(?)。 圧巻は、トンネルを出たとたん、雪が舞い降りて来たこと。 道産子の自分のDNAが急にうずくよう。 トンネルを越えてChile領なるも、そこから7km先にArとChileのImmigrationが仲良く、一つの建物にある。1から5までの窓口を順番に回ると、Arの出国、Chileへの入国、車の登録など、効率よく出来る。 BR税関も見習うべし。 さらには、余ったARのPesoをChileの通貨にその場で両替OK.余ったParaguayの通貨Guaraniを出したら、「それはNo」と、つれない返事。 因みにGuaraniのお札の汚いことと言ったら、ばい菌の巣をポケットに入れるようなもの。19時半Santiago到着。 Apart Hotel Tempo Rent 92ドル。 予算オーバーだが、広くキッチンもあるので、マーエーかと。月曜日ForesterのRevisãoをして貰うよう手配済み。 どうしても、写真がのっからない。  どうしてエー(?)

2009年2月27日金曜日

Mendozaで一休み

朝のんびりと起床。 モーニングコール抜きの就寝というのは、実に寝る前から心身が休まる感じ。12時出発のワイナリー巡りのツアーに申し込んであったので、それまで近くの商店街をブラブラ散歩。サンマルティン広場近くのアーケード、ブティックなど沢山あるが、どれも店構え、店内の装飾かなり洗練されている。 センスがイイ。Cafeteriaなど、飲みたくなくとも、本でも抱えて入りたくなるような衝動を覚える。  そんな場所がいくつもありながら、座った一軒の歩道に出したCafeteria. 座ってまもなく、四つ角のため、排気ガスをイヤっというほど浴びせられる。 Mendozaの観光客は、いたって多い。しかも、世界中からの客層。 ワイナリーの小型バス、3家族7名。 スエーデン、USAそれと我々。 Mendoza郊外Nortonと言うワイナリーにあるレストラン。 店内がまた素晴らしく、料理も抜群。 サービスも満点。 トイレの明るさ清潔さにもホレボレ。 一瞬、Peru,Boliviaを先行すべきではなかったかと思慮の足りなさを悔いる。 Californiaから来たという、ナントカという人(名刺の名前見てない)MRIの磁気を遮蔽する機器を扱っており、BRでのパートナー探していると言う。 当方が医療機器のBusinessをしていると言ったのが発端。 危うく、おいしい食事をしながらMRIの話になりそうなのをグッと押さえる。  どのような訳か、今日のこのページへの写真の挿入がうまく行かない。 従って、一番自慢したいシーンを載せる事出来なく、残念しごく。 明朝は、いよいよのAndes越え。

2009年2月26日木曜日

アンデスのふもとまで来ました

コルドバを出て、そろそろ飽きてきた大平原の一直線とは打って変わった風景を走った。 一面岩肌だらけの山を越えた。 久しぶりのカーブの連続、やはり走る実感は、コレコレ。 こんな田舎道まで、実に良く整備された道路が続く。 穴ぼこ一つ見つからないのは、どういう事。 やはり、戦前の先進国ARの充実したインフラを感じさせる。 Mendoza手前、200kmぐらいから又緑と化した。 勿論、広大なブドウ畑。 古臭いカミオンがブドウを満載して行きかう。 当然今夜は、Bife de Chorizo & Vino tinto.  一人前を二人で分け、約20ドル。 3.5Pesos /US$のため、かなり割り安感あり。 街中活気あり。 昨年の経済成長率記憶に間違いなくば、確かBRをかなり上回ったはず。 ホテルは3星、Princess、朝食付き200Pesos。

Santa Feから Cordoba着

昨日、コルドバ着。ホテルCristalのWiFiもCable式も両方トライするもアクセス出来ず。 ヤクの経験皆無なるものの、一種の禁断症状。 イライラのしっぱなし。 俗世を一旦棚に上げるつもりでこの旅行に望む筈も、やっぱり抜けきれない悲しさ。 コルドバには、午後2時到着。 ユネスコの世界遺産指定の国立大、大聖堂、市立美術館を見学。 このPCバッテリーなく、今にも切れそう。
取り敢えず、ここまで。

2009年2月25日水曜日

パンパの広大さを実感

昨日、ParaguayとArgentina国境の町、Posadaから900km、Santa Fe到着。 この間、壮大なPampaを走って来た。 とにかく、一直線、BRの比ではない。 Foresterの自動操縦(Piloto Automatico)をフルに活用する。 交通量もそれほどなく、実に快適だが、単調故、常に眠くなる。 都度、スタンドや街道の横道で一眠り。 途中、牛を追う牧童の光景は、これまで見てきたArの風景そのもの。 眼前に広がるこの大地を見ると、ARがとてつもな農業国であることを強烈に印象付ける。 とにかく、デッカイ。