2009年3月27日金曜日

La Paz - Cochabamba

La Pazは街全体がUpper & Lower Partに分かれているのだが、感覚的に慣れるまで時間要する。 例えば今朝出がけのガソリンの補給。 Centroにはガソリンスタンドがない。15Lの残量で高速道路へ入り、焦った。 Upper La Pazに行き、2件のガソリンスタンドを見つけるもガソリンないと、店員がそっけない。  益々、焦った。3件目でようやく列を成していたスタンド見つける。 Boliviaには、Aditivadoなく、ガソリンは、一種類のみ。 La Pazからは国道1号と4号を走る。 道路は、良好。 全く、問題ない。 4500Mから2500MのCochabambaに降りると、快調。 気温も上がり、半そでOK. 街道筋で気になることあり。 それは、街道の右左に犬が車道横に座っていること。 まるで誰かが1km毎にそれらの犬を配置しているかのような風景である。  平地で家畜などの傍にいれば家畜の番犬かとも思う。 しかし、険しい山間にも高速で走る車両の脇に座ってこちらを見ている。 民家の近くでもないところで、小雨の寒い中、沢山の犬達がこちらを見ているのは、とても哀れだ。  決して群れを作る訳でもなく、等間隔と言っても良いぐらいの距離で孤独に並んでいる。 一応、一匹づつのテリトリーがあるのか知らん。 どうしても、誰かに聞いて帰らないと気が済みそうにない。 1000m下がっただけで体調が違う。 Cochabambaは、La Pazと違い落ち着いた町並みを見せている。 La Pazのようなキチガイ運転手、キチガイ歩行者が少ない。 白人の割合も多い。 車も大体いつもの馬力に戻った。 久しぶりにビールも飲んだ。 やっぱし、低地はラクやー。

最後の国Bolivia

4000M前後の標高というのは、我々平地民族に取ってやはり尋常ならざる環境。 助手が3日間軽い頭痛と一度は吐き気に見舞われた様子。 当方は、頭痛とまでいかないが、ベッドに入ってから中々熟睡出来ない。 ひょっ中覚醒し、色々な夢(国境での車持ち込みの手続き、街道での警官とのやりとりとかクダラナイもの)を見たり、少し息苦しさを感じたり。 そう言えば、最近車の追い越し時、「ウッ、こんなものではなかったはず」と。 つまり、ダッシュの加速がイマイチ。 これも多分に酸素の濃度と関係しているのではと推察される。 Punoを後にBoliviaとの国境を目指す。 この区間は非常に農業に適していると思われる。 見事な作物の栽培地帯が延々Boliviaの国境まで続く。 チチカカ湖がもたらす恵み。 国境は、Desagudero経由とSakani経由がある。 途中、Juliと言う町で会った人が景色が素晴らしいと勧められSakani経由とした。 こちらは、チチカカ湖の狭い部分を渡し舟で車一台づつ運んで貰う。15分ぐらい。 船頭と手伝い計3人が乗船しており、料金900円。Copacapanaと言う街で昼食。ほとんど、チチカカの周囲を回る感じで330km走り、18時過ぎLa Paz到着。 ラッシュ時でこれが大変な混雑。 一言で言うと、車の通り道と人の通り道の区別無し。車の列の間を利用して人が平行して歩いており、さらにその列をクロスするように挑戦する人達もいる。  Limaもひどかったが、ここLa Pazには負けよう。 Centroに中々行き着けず投宿出来たのは、20時。 急斜面に作られたような街で、斜面全体に広がる明かりが、Rioのファべラ、Rossinhaの夜を思い出させる。 La Paz日本人会の建物にあるレストラン「Kenchan」でカツ丼。 胃袋が歓喜していた。 La Paz郊外で残雪を確認。