2009年3月29日日曜日

San Juan移住地

Santa Cruzに来て、久しぶりに半袖で外出可能となる。 助手の頭痛も完治し、また通常の食欲を見せている。 この街は、地図で見る限り、中心の24 de Setptiembre広場を中心に、それをぐるりと取り囲むような形の環状線の道路が何本も描かれていて面白い。 Primero anillo, Segundo anillo,という具合で慣れると我々外国人には大変便利。 迷っても一回りすれば、元に戻る。 空も湿気を帯びた空模様で、案の定、短時間ながら時々雨に会う。  今はもう雨季の終わりなるも、やはりここの人達の話も気候の異変を口にしている。 話に聞いていたSan Juan日本人移住地を訪ねることにした。 日本にいる大学時代の友人が少年期ここで過ごしたとい言うMailを受け取り、彼の友人O氏を訪ねて欲しいと。Monteiro, San Carlos, Santa Feそして、San Juan。 片道約130kmの道路は、昨日とは打って変わってすこぶる良い。 しかし、残念ながら、O氏30年ぐらい前から日本に行ってしまい音信不通。一番近い町、Santa Feは、もちろん昔故現在の様相とは違うであろうが、移住地内にお店などない時代は、言葉も不自由な我が同胞がこの辺を買物で行きかっていた姿を想像すると感無量になる。 近郊には立派な住宅もある。 生憎、日曜のため、移住地の中心街は、閑散としており、話し相手と
なりそうな日本人の姿もなかった。 看板から日本食のレストランが3件ほどある。 明日は、BRに向かうが、今日のこちらの新聞では、通行不能と報じている。 かなり遠隔になるCuiabaに抜けるSan Matiasに向かうしか手がないのか。 予定のPuerto Suarez方面へ運行しているバス会社を訪ね情報を貰いに行った。 そこの切符売りが「問題ない」と。 「しかし、今日の新聞には通行不能と書いてある」と私。 「そんなことない。ウチの今日のバスはもう出た」と彼。 「見ろ。今出て行くバスは、もう一社のバス」とその相棒。 ここから650kmもあり、はたして彼らの言葉を信じて良いのか。 バスの切符を売ってしまえば、もうどうでもイイと考えているのでは。 いずれにせよ、予定のコースPuerto Suarezを選択する。 うまく行って15-16時間、へたをすれば途中一泊。 水、食料などを確保しての出発となる。  後は、神頼み。

1 件のコメント:

桟より さんのコメント...

板垣さん、奥様
お元気ですか
毎日、小まめに日記を書かれており
道中の様子が手に取るよう解りとてもリアルに感じられます、もう少しでブラジル国境で
す。ブラジルに入ればなんとなく旅も終わり
に近つきますですが、クイアバまでの距離は直線で600km以上でしょうか、通行不能箇所があるかも知れないとの事、是非、暮ぐれもお気をつけて走行して下さい。
そろそろ、御寿司も懐かしくなってきたのではと思います、また4月のお帰り時にはお土産話を楽しみにしています


桟 より 3月30日 午前1時